【金沢兼六園】
兼六園の金沢神社の傍に「金城霊澤」という泉があります。この泉には、金沢市の地名発祥伝説ゆかりの「芋掘藤五郎」にまつわる伝説があります。
(金城霊澤の伝説案内板)
お話は、昔々加賀国の山科(今の金沢市山科町辺り)という村に、山芋(自然薯)を掘って暮らす藤五郎という。無欲で礼儀正しい若者がいたと云うもので、あるとき、藤五郎が掘ってきた山芋(自然薯)を山崎村近くの泉で洗うと、きれいな水の中に金色の粒がキラキラと光っていたという。それは山芋(自然薯)の土に付着していた砂金が泉にたくさん沈んでいた・・・とか。その泉を大昔から「金洗いの沢」と呼び、それが「金洗沢」「金沢」となり、やがて金沢の地名発祥伝説として今に伝えられたと・・・云うものです。
(兼六園の金城霊澤)
≪藤五郎伝説のあらすじ≫
奈良時代初期、養老の頃(716~717)、加賀の国山科村の出村の伏見の里に山芋を掘り生計をたてていた藤五郎という若者が住んでいた。一方大和の国初瀬の里、萬(ヨロズ)の長者・生玉右近萬信(一説には生玉方信)は観音様に祈願して、娘の和五(一説には和子とも)を授かりし後、夢枕にたった観音さまが「娘和五の婿となる者は加賀の国山科伏見の里の藤五郎である」と告げられ、遥々この地を訪ね詳細を説明して執拗に懇願、二人は夫婦になったのである。藤五郎は邪欲なく澄んだ目で茫洋として奢らず、近郷の村人に金銀を分け与え人望もあり、後地頭になったとか。藤五郎が山芋を洗ったと言われるのが兼六園内西の隅にある金洗澤(金城霊澤)で水底に砂金がキラキラ光り輝いたと言い伝えられており、それから現在の「金城霊澤」という地名がつけられたとされている。この辺りには芋掘り藤五郎ゆかりの伝承が実在している。尚藤五郎夫婦を葬ったとされている二五塚(一説には二子塚)は大乗寺の裏から西へ約180mにあり、そこを昔は寺地山と言った。塚発掘の際出土した剣等は寺町五丁目の藤五郎ゆかりの伏見寺に保存されている。
(平成元年六月吉日 日本民俗学会・加能民俗の会 本光他雅雄より)
そのお話は、時代々々を代表する歴史家の教訓や物語の解釈から微妙に筋書きや表現にも諸説がありますが、伝説、伝承ですので、何れを信じるか信じないかは何ともいえませんが?その判断は以下を読んだ皆様に委ねます。参考ブログの幾つかを添付します。
参考ブログ
金城霊澤の秘密
石川県“金沢の名称の由来”を完全解説!
「芋掘り藤五郎」は金沢の由来でなんてもう言わせん!
芋掘り藤五郎伝説を調べていると、金沢という地名は、全国に金沢という地名が60近くもあり、その多くが金の採掘に由来しているということが考えられるらしい、そして、炭焼長者の伝説の柳田国男によると芋掘り藤五郎伝説は炭焼長者系伝説で全国には少なくとも46を数えるとか、このことから考えても金沢の地名に、他から来た炭焼長者伝説がくっついて芋掘り藤五郎の伝説となったのではないか・・・? 鉱山で富鉱をイモというのが、このイモを掘ることと、伝説の芋を掘ることが関係しているという説も“そ~うかも”と思わせますネ!?
(つづく)
参考文献:「越登加三州志」冨田景周編 石川県立図書館協会 昭和8年発行「金沢古蹟志」森田柿園著「石川県史」第一編第二編 日置謙「加能郷土語彙 」日置謙 昭和17年発行