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兼六園熊谷桜と旭桜①兼六園の遅咲きの桜

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【金沢市内】
兼六園熊谷桜満開!!熊谷市の方から4月6日、金沢から移植された”兼六園熊谷桜“が満開だという連絡をいただいてから10日目。4月16日の兼六園では、”兼六園熊谷桜“が満開になりました。緋色の山桜系で、その昔、熊谷次郎直実の緋縅の鎧の色から名付けられたと聞きますが、実際には緋色といっても濃いピンクで、この色の鎧だったとすれば、直実は随分おしゃれだったのに・・・。


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(4月15日の兼六園熊谷桜)


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(4月16日の兼六園熊谷桜)


(樹齢300年といわれ、学名は「ケンロクエンクマガイ」といいます。藩政期水戸藩から贈られたものと伝えられていて、花は一重で、牡丹桜とも呼ばれています。)


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(4月16日、満開の旭桜)


雁行橋の袂の旭桜満開!!初代の旭桜は、藩政期長町の村井家から500人が50軒の家を壊して移植したという伝説の山桜で樹齢500年だったといいます。また、徽軫(ことじ)燈篭以前の兼六園の象徴だったともいわれていますが、昭和の初め枯死し、現在は2代目です。


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(2代目の旭桜も上の方の枝が寂しくなりました)

旭桜という名称は、枝振りが絵に描いた“旭”のように枝が何本も広がっているということだそうです。また、初代が枯れた原因は明治時代、西南戦争の戦勝記念の行事で、旭桜にホロを掛けイルミネーションを付け「巨大な象」に見立てて造り祝賀のシンボルにしたためだといわれています。


(泉鏡花の小説に、兼六園の旭桜と寺町松月寺の大桜をモデルに描いた「櫻心中」という哀しい恋物語があります。)


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(4月16日のしだれ桜)


≪瓢池のしだれ桜も満開!!≫何年か前雪害で枝が折れ、かっての華やかさはないものの、海石塔の寄り添う姿は、しなやかで、優雅な雰囲気を留めています。


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(枝が折れて上部が枯れだしたしだれ桜)
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(平成16年4月10日、華やかだったしだれ桜)



これからやがて満開になる桜・・・


天然記念物でした“兼六園菊桜”の初代は御所桜とも呼ばれ、藩が京都の御所から賜ったといわれていました。昭和45年(1970)樹齢250年を全うし、枯死しました。現在の2代目は、2本並べて植えられていますが、柄ごと落花するので、種子が取れないので”接木“して育てます。


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(兼六園菊桜はこれから)

学名は「ケンロクエンコクザクラ」といい、特徴は、花弁が多く300枚を超え、開花から落花まで花の色が3回も変わり、柄のまま落花します。現在、左側の木は金沢の岡田安右衛門氏、右側は京都の佐野藤右衛門氏の労作だといいます。


(花の色は、咲き始めは深紅、満開で薄紅色、落花する頃には白に近づきます。)


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(普賢象はこれから・・・)


普賢象は、サトザクラ系で、花は大輪で淡桃色の八重桜、普賢象というのは普賢菩薩が乗った象のことで、この花の2本の葉化した“雌しべ”が象の花にていることに由来するとか・・・。


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(もうしばらく・・・御車返し)

御車返しは、牛車で通りか掛かったところあまりにもその花が美しかったので車を引き返したという・・・。


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(左、福桜、右、今満開のもう一本の兼六園熊谷桜)

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(あとしばらくの塩釜桜)
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(もうそろそろ・・・楊貴妃)
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(もうそろそろ・・・福桜)
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(10月まで咲くという10月桜)

今日最後は、ずう~と花のない桜ばかりで、ハナシにならないので、桜ではありませんが、4月16日、今日一番美しいと思った“利休梅”を紹介します。


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(利休梅)


兼六園には、約420本の桜があります。その内、約半分の染井吉野は散りはじめましたが、まだまだ満開になっていない桜がかなりあります。


(つづく)


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