Quantcast
Channel: 市民が見つける金沢再発見
Viewing all articles
Browse latest Browse all 876

加賀の一向一揆④“蓮如さん”と下間蓮崇

$
0
0

【加賀・越中・越前】

今回は少し脱線します。蓮如さんと聞くと直ぐにおばぁちゃんが思い出されます。私が小学校5、6年の頃。当時、祖母は今の私の年齢より少し若いくらいで、日がな一日近くのお寺に入りピタリで、帰りには何人かのお年寄りを連れて帰り、茶の間でお茶うけに漬物を食べながら“蓮如さん”の話で盛り上がっていました。当然“蓮如さん”は、その日の御坊さんの事かと思っていました。はい、60余年前の金沢では“蓮如さん”はお年寄りに身近に感じられていたのでしょう!?それだけ蓮如さん「真宗」は、金沢や石川だけでなく北陸に深く浸透していたのだと思います。

 

(祖母の通ったお寺)

 

ところで、蓮如上人が文明7年(14758月吉崎を去りますが、文明一揆が発生したのは、その前、約4年間布教していたころに重なります。蓮如が吉崎を後にしたのは、自分がいると本願寺門徒と富樫政親の間で争いが絶えないと思ったためとか、また、反対に蓮如上人が百姓衆の先頭に立って反乱を率いていたイメージもあります。しかし、「蓮如上人の生涯・下巻」によると、百姓衆は、蓮如上人を通じて、何とか富樫政親と和議をしたいからと、洲崎藤右衛門(慶覚)湯涌次郎左衛門を使いに出し、蓮如上人取り次ぎ役下間蓮崇に頼みますが、この蓮崇意図的に反乱を煽るような動きをしたとも伝えられています?!

 

 

(昔と同じ湯涌の山々)

 

(湯涌次郎左衛門(石黒孫左衛門正末)は金山の鉱夫の首領か?文明13年(1481)、加賀守護富樫政親に弾圧された一揆衆は瑞泉寺に逃げ込むが、脅威と感じた越中福光城主石黒光義が瑞泉寺を襲撃しようとしたが、湯涌次郎左衛門が率いる湯涌谷勢23000人の加勢もあり一揆軍が勝利し、越中の3分の1の砺波郡が「一向一揆の持ちたるような国」になり、この戦いで自信を得た一揆軍は、以降、長享の一揆で勝利するきっかけになります。)

 

実は、二人の使いが和議を申し入れた事を蓮如上人には伝えず「精一杯合戦したい」「力の及ぶ限り準備して戦い、加賀へ帰りたいので皆への力づけをください」と言っていたという嘘を伝えたと言われています。しかし、使いの二人に「上人のご意向だ」というのは蓮崇の言い分だとして「上人のご意向を直接会って聞きたい」と何度も頼みますが、願いもむなしく、蓮崇は「その必要はありません!!」と突き放したと伝えられています。

 

 

 

蓮如10実悟は、蓮如を徹底して平和主義者として描き、蓮崇をその意向を無視して独断で一揆を先導した悪党として描いていますが、近年、蓮如が文明5年(1473)に発した御文「仏法のため、一命を惜しまずに合戦に及ぶことに衆議が一決した。」と書いている事や、文明6年(1474)にも蓮如が一揆を扇動し、なおかつ武器の買い入れなども行っている事を示す書状が存在することを指摘されており、むしろ蓮崇蓮如の意向に忠実に従っただけだったのではないかとする説もあります!?

 

 

 

下間 蓮崇(しもつま れんそう)生年不詳 、室町時代後期の浄土真宗本願寺派の僧。安芸法眼。下間の姓は後に名乗りますが下間一門との血縁関係はなく。越前国浅水(現福井市麻生津)の住人。本願寺派に帰依する前、姓は阿毛、名は心源を名乗っています。蓮如上人が吉崎にいた頃の奏者です。奏者は取り次ぎ役で、蓮如の側近くに仕えます。蓮崇は幼い頃に和田本覚寺の小僧になって心源と名乗り、15歳の時、本覚寺に来た如乗に連れられて加賀二俣の本泉寺に移り、25歳の時、本願寺の執事職を務める下間家の娘を嫁に貰って下間姓を名乗ります。28歳の時、湯涌谷の道場を任され、34歳の時、本泉寺に来た蓮如の供をして東国の旅に出ます。当時、蓮如の拠点だった近江の大津顕証寺に行き、蓮如から蓮崇という名を与えられて側近くに仕え、文明3年(1471)5月、蓮如と共に加賀の吉崎に進出します。吉崎御坊を建てる時、蓮崇は中心になって活躍します。蓮如上人が来た吉崎は門徒たちが大勢集まって栄えますが、応仁の乱に巻き込まれて、門徒たちは一揆を始めます。文明7年(1475)8月、蓮崇は門徒たちを扇動して一揆を起こした罪によって破門になってしまいます。蓮如は一揆を治めるために吉崎を立ち退きますが、それから24年後の明応8年(1499)3月、蓮如の死の5日前に、は蓮如から許され蓮如の死の三日後、毒を飲んで自害します。)

 

 

 

今回、調べていて、殆ど忘れて居ましたが、昔読んだ蓮崇がモデルと言われる真継伸彦の小説「鮫」「無明」が思い出され蓮崇を愛しく思い何時かまた読みたくなりました。

 

(つづく)

 

参考文献:辰巳明著「消された城砦と金沢の原点を探る」清水隆久著「田辺次郎吉」「下間蓮崇」 フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」図は一向一揆研究会砺波正夫

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 876

Trending Articles