谷口吉郎氏と「金沢市伝統環境保存条例」
【金沢市】北国新聞社が発行する季刊誌「北國文華第78号」に金沢工大の水野一郎先生がお書きになった“谷口吉郎の金沢”の金沢のまちづくりや建築保存の項目に、元金沢市長山出保氏の著書“まちづくり都市金沢”に「金沢市伝統環境保存条例」の起案者は谷口吉郎氏だと紹介されています。 (金沢市伝統環境保全・石川門と百間堀)...
View Article犀川大橋からスクランブ交差点まで①昔は川南町と呼んだ・・・。
【犀川大橋→片町スクランブル交差点】藩政期、片町の犀川寄りの町を川南町と呼んだと云われています。何故、犀川大橋の北東に有るのに川南町と呼ばれていたのでしょうか?人から聞かれ、傍と困り頼りの金澤古蹟志を調べてみると、南町の犀川寄りの町ということから川南町と云ったと書かれていました。(川南町の表記は、金澤古蹟志・加能郷土辞彙には河南町と書かれています。) (今の犀川大橋・手前が旧川南町)...
View Article犀川大橋からスクランブ交差点まで③旧河原町・旧古寺町
【犀川大橋→片町スクランブル交差点】享保(1716~1736)の末ごろまで、旧川南町は川(河)原町と呼ばれ旧河原町は後川原町と呼ばれていたそうです。また、古寺町も昔は河原町と書かれています。 (川南町:明治4年片町と合併、今は片町1・2丁目・河原町:藩政初期は、後川原町と呼ばれ本町の一つ...
View Article木倉町から片町2丁目、そして平成15年、38年ぶりに旧町名復活
【木倉町】昭和37年(1962)5月に「住居表示に関する法律」が施行され、金沢市は住居表示整備実験都市の指定を昭和37年(1962)8月に自治省から受け、住居表示の現代化のモデル都市とされ、いち早く町名の整理が行われました。木倉町も昭和40年(1965)9月1日に地域の13の町名が統合され「片町2丁目」になり、藩政時代からの歴史ある町名”木倉町“は消してしまいます。 (現在の木倉町入り口)...
View Article片町2丁目の旧町名伝馬町(上・下・横・裏)
【片町2丁目】昭和40年(1965)金沢市の町名統合で、片町2丁目や中央通町等に町名変更になった上伝馬町(片町2丁目)、下伝馬町(中央通町)、横伝馬町(片町2丁目、長町2丁目、中央通町)、裏伝馬町は、藩政期からある地名で、藩用の人や荷物を運ぶために66匹の伝馬が置かれたことからこの名が付きました。藩初は橋場町付近に置かれ、以後犀川に移されています。上・下・横・裏伝馬町は地子町の一つでした。...
View Article長町⑥2丁目の幕末の地図と士帳(2)
【長町2丁目】前回の幕末の地図と士帳では、武士の家禄を書きましたが、今回は、加賀藩の武士の家禄や身分、組と役について簡単に復習します。簡単にと云うのは、私が観光ボランティアガイドになろうとしていた頃、書いたメモで、自分が理解できるようの書いたものです。...
View Article長町⑦長町4番丁・長町の「りんご」とトマス・ウイン
【旧長町4番丁】明治12年(1879)10月4日 石川県中学師範学校(石川専門学校の前身)で教授のかたわらキリスト教の伝道をする目的で、トマス・ウインが金沢に到着します。長町の案内に沼田悟郎(同校長)があたり、長町4番丁2番地に住むことになります。当時、長町にはリンゴ栽培が盛んで、ウインは高値のリンゴを買い...
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