金沢の金属工藝②終戦後の昭和
【金沢市】昭和20年(1945)8月15日、第2次世界大戦が終り、敗戦後、生活物資の欠乏から伝統工藝や伝統産業が無用の長物化し、軍需工場に転出した職人達の多くは、民需工場に転じた工場に留まり工藝職人に復帰することを諦めざるをえなくなります。中には工藝職人に復帰した人もいますが資材も供給がなく工場に逆戻りした職人も多く、象眼師や白銀師たちは板金工や仕上げ工として働き出したようです。...
View Article金沢の金属工藝④昭和そして今
【金沢】金沢の金属工芸を美術工芸として命脈を繋いだのは、高橋勇(介州)氏でした。昭和4年(1929)第10回帝展に初入選以後、帝展、新文展に入選を、戦後は日展に出品を重ね、昭和23年(1948)には日展会員となり昭和37年(1962)には日展評議員、昭和55年(1980)からは参与として日展への出品を続けました。...
View Article希少伝統的工芸品“加賀象嵌“石川県立伝統産業工芸館
【金沢】昭和59年(1984)1月に開館した石川県立伝統産業工芸館は、谷口吉郎氏設計で昭和34年(1959)に建てられた石川県美術館を利活用したもので、経済産業省指定の伝統的工芸品10品目を含む県指定や希少伝統的工芸品36品目が展示紹介され、九谷焼や山中漆器等の、製作工程がわかる展示がされています。...
View Article板橋の金沢①
東京都板橋区】平成20年(2008)7月に金沢市と東京都板橋区が「友好交流都市協定」を締結しました。今回は2回目になりますが、金沢観光ボランティアガイド「まいどさん」と板橋区のボランティアガイド「もてなしたい」との交流会が開催され、板橋のボランティアガイドの皆さんと板橋にある金沢所縁のところを巡り交流を深めてまいりました。...
View Article板橋区の金沢③野口遵1
【板橋区】昭和20年(1945)8 月の敗戦により、今の板橋区加賀を中心とした広大な敷地に軍の建物や構造物が放置されます。東京は戦時中にアメリカ軍の大規模な空襲により多くの建物が焼失したために東京市民は極度の建物不足に陥っていました。そのような中で、放置されたままの二造板橋製造所板橋工場の建物を利用することが考えられるようになり、昭和21年(1946)7...
View Article16代前田家のお殿様①駒場の「旧前田家本邸」
【東京都駒場】先月、観光ボランティアガイドの交流会で上京した際、駒場の旧加賀藩主16代前田利為候が昭和4年に建てた重要文化財「旧前田家本邸」を見学する事ができました。今年、保存整備工事が行われると聞いていたので、諦めていたのですが、工事のための休館は今年7月から約2年間だと聞きコースに組み込まれたお陰で、当時、東洋一と賞賛された豪邸を思いかけず、全く予備知識がなかったのですが見ることが出来ました。...
View Article前田利為侯爵①結婚記念事業
【富岡→東京→欧米】16代前田家のお殿様②にも書きましたが、利為候は、前田家の分家旧七日市藩12代の5男でした。旧七日市藩の初代利孝は大阪の陣の功により幕府より一万石余りの封地を与えられ七日市(富岡)に陣屋を構えています。利為候(茂)は明冶18年(1885)6月5日に生まれ、当時分家旧七日市藩は東京の前田家本郷邸内に寄留しています。...
View Article公益法人前田育徳財団②難産
【東京・本郷→駒場】大正2年(1913)9月、利為候は第1回渡欧留学に発ちます。イギリス・フランス・ドイツ・イタリアその他第一次欧州大戦交戦国の文化財保護の状況を視察し、文化財保護の見地からも図書館・美術館建設の必要性をいよいよ切実なものと考えるようになります。...
View Article公益法人前田育徳財団④戦時中
【東京・目黒→金沢】満州事変以来、時局は年を追うごとに複雑で、かつ危機的様相を深め、昭和12年(1937)帝国議会は軍備調達の必要から画期的増税案を上程します。統制経済の強化により国防国家建設が急がれ、その前途に前田家の公益事業としての寄付や貴重な蔵品などへの課税が必至で、さらには個人的所有も困難になることが予想されるようになります。 (駒場の旧前田家本邸の門)...
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